歴史

奈良時代

神亀4年 727年 摂津国司の双子 善仲 善算兄弟が当山に登り、大般若経書写の大願を果たすため草庵をかまえて修行を始める。
天平神護元年 765年 光仁天皇皇子(桓武天皇の兄)当山に入って善仲 善算に出会い二聖を師に受戒し開成と名のる。
宝亀5年 774年 弘法大師 空海が讃岐(現香川県)で生まれる。
宝亀6年 775年 開成、二師の貴志を継ぎ大般若経600巻を書写し、般若台に奉納、一寺を建て弥勒寺と号した。
宝亀11年 780年 仏師妙観来山して本尊十一面千手観世音菩薩像を刻んで講堂に安置する。
妙観は観音の化身と人々が称した。
天応元年 781年 開成示寂。行年58才、当山第一代座主である。

平安時代

貞観9年 867年 第4代座主 証如上人入滅。浄土教念仏聖の先駆者である。
元慶4年 880年 清和太上天皇参詣する。「寺記」によると6代座主行巡上人の清和帝病気平癒に霊験あり「勝尾寺」の勅額を下賜、また官田を施入した。
永承7年 1052年 この年から法滅の「末法」時代に入ったと信ぜられ、念仏聖の活動が盛んになる。以後 勝尾寺は「聖の住所」として後白河法皇の撰集した『梁塵秘抄』にも見える著名寺院になった。
元歴元年 1184年 源平内乱により当寺は源氏軍の手で全山焼亡された。

鎌倉時代

建久6年 1195年 戦災復興着手から11年を要してこの年 再建復興成る。
承元2年 1208年 浄土宗開祖法然上人、証如上人の旧跡に止住する。以後3年10ヶ月逗留、今の二階堂傍に法然上人供養の五輪石塔が建立された。同所はのち法然上人「第五番霊場」となる。
寛喜2年 1230年 寺領山林の周囲8ヵ所に「八天石蔵」が築造された。麓村との境界争論が太政官の裁許で勝訴したので寺領の境界標として築造されたが、その地中に障難防護を念じて「四天王・四明王像」が埋納された。
寛元元年 1243年 当寺の縁起『応頂山勝尾寺古流』1巻が沙弥心空によって完成した。この年5月から8月までの3ヶ月にわたり薬師如来、観音像が京都で開帳された。奉加物銭二百余貫文あり。
寛元3年 1245年 坂本の地に木造大鳥居が造立される(今の粟生新家)。
宝治元年 1247年 この年の11月 山門を起点に旧参道の7町目までの間に町石五輪等8基が建立される。
嘉歴2年 1327年 同年の「田地寄進状」に「当寺千手観音は三十三所の随一、回向巡礼行者は昼夜を問わず連続」と盛況を伝えている。
元徳2年 1330年 吉田兼好、『徒然草』を著す。
元慶2年
元弘3年
1333年 元弘内乱時の同年7月当寺では後醍醐天皇方支援のため「軍勢平料米20石」を瀬川宿で渡辺覚に渡す。

南北朝時代

建武3年 1336年 同年2月5日付けで足利尊氏から当寺へ「高山庄地頭職」が寄進された。
貞和3年 1347年 室町幕府将軍 足利尊氏、当寺へ「摂津国椋橋庄内長嶋」の地を寄進(今の豊中市庄内の一部)。
康歴2年 1380年 旧寺域の光明院谷に北朝天皇の供養七重石塔が建立される。
台座に「大光明院」と「□七七供養造石塔」の刻文がある。

室町時代

永亨
嘉吉
宝徳年間
1429年

1451年
この間の当寺では麓村々の要請でしばしば「請雨」祈祷を行っている。

戦国時代

天正13年 1585年 豊臣秀吉 この年「山検地」を行い、当寺領山林に対して「山年貢米1石2斗」の上納を定める。
文禄3年 1594年 豊臣秀吉の検地で「勝尾寺屋敷七石扶助」の朱印状が下され、朱印寺院となる。

江戸時代

慶長8年 1603年 豊臣秀頼 当寺本堂の再建にあたり浄財を施入する。
慶長8年 1603年 徳川家康、江戸幕府を開府。
寛文6年 1666年 坂本の旧大鳥居跡地に「石造大鳥居」が造立された。施主は大坂住吹田屋理右衛門、鳥居敷地年貢は高槻城主永井日向守が免除する。この年、旧参道1町目から8町目までの町石28基を大坂の豪商小嶋長左衛門妻女の篤志で造立。
寛文9年 1669年 この年4月現山門造立開帳、造立資金として白金20枚を高松城主松平讃岐守頼重(水戸光圀の長子)銀50枚を大坂小嶋長左衛門寄進。
延宝5年 1677年 旗本菅沼隠越中守娘の白髪、荒神信敬によって黒髪となる。
元禄12年 1699年 大般若経奉納の故地に「丈六の弥勒菩薩銅像」が建立される。

昭和

昭和25年 1950年 この年「電気」が導入される。
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