本寺の草創は奈良末期に遡る。

仏教文化財

勝尾寺の創建は奈良時代初期にまで遡り以来、数多くの権力者がこの寺の持つ霊力に感謝の意を表し多くの荘園などを寄進してきた。仏像や経典などはもちろんの事、中世期の北攝を知りえる古文書でもあり、文化的にも価値の高い「勝尾寺文書」など数多くを保有している。

  • 男神立像

    平安初期 府指定文化財

  • 勝尾寺文書

    奈良〜江戸 府指定文化財

傍示八天石蔵

勝尾寺は寺領の境界を明示するために、周囲の8個所に、4体の天王像と4体の明王像を埋めた。これが傍示八天石蔵である。像は信楽焼の陶器の壺に納められて埋められ、その上に石を積んで3段の壇にしてある。鎌倉時代の寛喜2年(1230)に作られたもので、傍示としては最も古いものに属し、しかも、独特の形式のものであり、国の重要文化財になっている。
なお、勝尾寺境内の荒神堂の脇に八天要石(影向石)と云われるものがあり、この下には五大明王の中心である不動明王の像が埋められているのではないかと考えられているが、未だ明らかではない。

  • 持国天像

    平安初期 府指定文化財

  • 増長天像

    平安初期 府指定文化財

  • 広目天像

    平安初期 府指定文化財

  • 多聞天像

    平安初期 府指定文化財

  • 降三世明王像

    平安初期 府指定文化財

  • 軍茶利明王像

    平安初期 府指定文化財

  • 大威徳明王像

    平安初期 府指定文化財

  • 金剛夜叉明王像

    平安初期 府指定文化財

  • 理納容器

    平安初期 府指定文化財

石像文化財 町石

勝尾寺の旧参道に建てられているいる五輪塔形の町石で、一町石から七町石まで古いものが残っている。町石に紀年銘はないが、「勝尾寺毎年出来大小事等目録」と題する同寺の文書に、宝治元年(1247)に町石卒塔婆を造立した旨が掲載されており、五輪塔形の古い様式とあいまって我国最古 宝治元年造立の町石とされている。

  • 二町 阿闍梨高像
  • 七町 僧定全
  • 三十六町