建立から百数十年経った平安時代、清和天皇の御世、当山の6代目座主であった行巡上人が、病に臥せっておられた帝の玉体安穏を祈ったところ、その著しい効験に感銘を受けられた清和帝自らが「この寺の持つ法力は、この国を治める王(帝)である私に勝った」として、王に勝った寺、勝王寺(かつ・おう・じ)と命名されました。
しかし、寺側は「王に勝つ」などは余りにも畏れ多いとし、「王」の字を「尾」に差し替え、呼び名はそのまま勝尾寺(かつ・おう・じ)と称するようになりました。
現在では、受験、厄除け、病気、スポーツなど「人生のあらゆ る場面で勝つ寺」として信仰されていますが、勝尾寺では「勝つ」とは他者を打ち負かすことではなく、「自分と向き合い、自分の弱い心に打ち勝つ」という意味に捉えています。
勝尾寺のダルマは願いを叶えてくれる存在ではありません。願 い事を書き、片目を入れる事で「自分と向き合い、自分の弱い 心に打ち勝つ」という自己誓約書にサインをするのです。そして、その願い事に向け、1 日 1 日を悔いなく過ごし、全力を尽くすことで初めて願いが叶うのです。焦らず努力し続けることが出来れば、「勝運」を掴み取り、彼方に望む高みに辿り着くことでしょう。
人生は砂時計のようなもの。
この世に生まれ出たその瞬間から、
私の『いのちの砂』は落ち続けている。
しかし、私は、その砂に触れることも、増やすことも、
更には、その残量を知ることすら許されていない。
だからこそ、私は、二度と戻ってくることのない
『今日という日』に全力を尽くし、限りある
『私のいのち』を生き抜くことを誓います。
なぜなら、私の生涯は
この一日一日で構成されるのですから。
一日の終わりに、その日を振り返り
「今日を生き切った」と自己評価できれば
〇を黒く塗りつぶし、
それ以外の場合、〇は空白のままにしてください。
私は、残された生涯で、あといくつの〇を、
与えていただけるのであろうか。