宝亀九年(778)、修行中の僧・興日が弥勒寺に来訪し、「弥勒寺のご本尊を作るための白檀を寄付したい」と申し出た。開成はたいそう喜んで白檀を受け取った。すると、こんどは修行中の僧・妙観がやって来て、白檀を彫って観音像を作りたいと申し出たので、開成はこれを許可した。
妙観は18人の同伴者とともに千手観音像を彫り始め、30日かけて彫り終えた。完成すると妙観は低頭合掌したまま往生した。また、伴っていた者たちも一人残らず姿を消した。観世音菩薩が18人に姿を変えてこの世に現れたのであろうと開成は感嘆した。観音縁日が18日と定められたのは、この出来事が由来であると伝わる。
以後、妙観たちの彫った千手観音像は、国内だけでなく国外からも信仰を集め、勝尾寺は観音霊場の聖地として、西国三十三所の一つに数えられるようになった。
画像出典元:勝尾寺所蔵「勝尾寺縁起」
〔貞享元年(1684)〕