天応元年(781)、本尊の千手観音像をご覧になりながら、開成は往生した。以後、歴代の住職たちは開成の教えを守り、弥勒寺の興隆に尽くした。
四代目の住職である證如上人は、幼い頃から聡明で、7歳にして仏門に入り、16歳より「不軽の行」を勤め、16万7千余りの家々を礼拝して廻った。弥勒寺に入ってからは、5日に1度の食事をとりつつ修行を続け、一切の言葉を口にしない「無言の行」を始めた。
貞観八年(866)のある日、音楽が山中に響き渡った。證如が不思議に思っていると、人の声が聞こえてくる。「私は播磨国(現在の兵庫県)に住んでいる教信という者です。仏の教えを信じたおかげで、さきほど往生することができました。證如上人よ、あなたもほどなく往生するでしょう。それを伝えるために参上したのです」。
證如が弟子に確認させると、たしかに播磨国で教信という人物が亡くなったらしい。聞けば、教信は若い頃よりひたすら念仏を唱え続けていたという。これを受け、證如は「無言の行」を止め、念仏の大切さを人に説いて回ることを始めた。長い間、一言も発することがなかった證如の言葉は、聞く人を感動させ、多くの人々が念仏の教えを信じるようになった。
教信の告げた通り、證如は翌年に往生した。證如の過ごした二階堂には、後に念仏を重んじる浄土宗開祖の法然が逗留し、勝尾寺は法然上人二十五霊場の一つに数えられるようになった。
画像出典元:勝尾寺所蔵「勝尾寺縁起」
〔貞享元年(1684)〕